
教えてモコム
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質問日時:2016/02/21 15:32
回答受付終了 もうすぐ3月11日、東日本大震災から5年経りますが、 あの日あの時、あなたは何をしていましたか? また、あの出来事から学んだものがあれば、教えて下さい。 |
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中学の卒業式でした。
絶望しましたね。この国にいる限り地震からは逃れられないんだって。 次いつ大地震がきて自分や自分の大切な人が死ぬか分からないので、その日を精一杯生きようと思いました。 でも今、大半の人は地震の事なんて忘れて普通に生きてます。私だってあの日は精一杯生きようなんて思ってたけど今はこんなサイトでお金を稼ごうとしょうもないメール打って電話してます。 人って忘れる生き物ですね。それがあの大地震から得た教訓です。 |
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当時宮城県に住んでいて
3歳の子供がその日偶然風邪をひいて 病院に行って帰って来て間もなくの時でした。 突然の大きな揺れに 子供を抱きかかえてましたが なかなかおさまらない揺れに このまま家の中に居たら潰れてしまいそうと思って とにかく近くにあった財布と車のキーを持ち 子供を連れて駐車場へ出ました。 外は車も電柱もグラグラ目で見てわかり ママ、お家も車もどうしちゃったのー...?! と子供はしがみついてました。 揺れが収まってから家に戻ると 食器棚もテレビも倒れていました。 あまりの散乱に片付ける気力もなく 家に入ると余震が続いて子供が怖がるようになってしまったので 車で一晩過ごしました。 次の日からはライフラインがすべて止まり 本当に大変だったし ガソリン 食べ物 水 電気 ガス ありがたい物だと気づきました。 |
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中学2年、帰り前の掃除の時間。
3階の角の教室で、揺れで机や椅子がながれてました。 窓はしまってて、割れたら危ないと思い、窓側にいた私はとっさに窓を開けてストーブの電源を切りました。 何度も机や椅子にぶつかりあざだらけになりました。 揺れが収まってから全生徒がグラウンドに集合し、親が迎えに来たりしてみんな帰って行く中私の親は来られなかったのでひとり歩いて帰りました。カバンは学校に置いたまましばらく学校閉鎖でした。 家に帰る途中、道路には無数のヒビや陥没、信号はもちろん止まってました。 家では、玄関の下駄箱は倒れて靴が散乱し、食器棚の中ではガラスのコップが2つ割れていました。靴を履いたまま先に進むと、照明は落ち、仏壇は倒れ、机の上に置いていた教科書は床に散らばり、水もガスも電気も止まってました。 まだまだ寒いのにヒーターもこたつもつかずお湯も沸かせない、親も帰ってないのでひとりぼっち。 あれほど怖くて寂しくて悲しい気持ちはあの時だけです。一生忘れません。忘れられません。 |
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ちょうど大学卒業の年でした。
仲間が就活やインターンで帰ってこれないときは焦りました。一向に連絡がとれず、どうにか帰ってこれたときは抱き合ったりしました。 母がたまたま録ってたニュースが津波のライブで、家族そろってリビングで一部始終をみて青ざめたのを覚えています。 九州で離れていたとはいえ、海の近くに住んでいたので他人事とは思えず、毎日のようにニュースを見ていました。 復興支援に協力したりしていましたが、5年もたつと、すっかり気持ちが落ち着いてしまうものですね。良いことなのか悪いことなのか、でも、忘れずにこれからも生きていきたいです。 |
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ご飯食べにお店に向かって車の中(>_<)
お店目の前の赤信号で止まってました(>_<) 津波のニュース見て涙と震えが止まらなかったです(;_;) 地震こわい(;_;) 生きてる事が大切(;_;) |
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当時6才と4才の子供を両脇に抱え
マンションの階段を降りました 火事場の馬鹿力だったのでしょうか 二人の手をしっかり握りしめ 上の子を学校に迎えに行きました 余震があるなか家に戻り子供たちと 身を寄せあっていました 旦那は会社でしたし 心細かったですね それからは年に何度か必ず集合場所の確認をしています 子供たちには何があっても必ず 親が迎えに行くことを約束し じっと待っているよう 家族が揃うまでその場から絶対動かないことを 決めています |
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離れていたので被害はありませんでしたが、仕事中ずっとテレビで様子を見ていました。何度も何度も同じ光景を見てました。
頭のどこかで分かってはいましたが、改めて、明日も同じ毎日が続くとは限らないってことを学びました。 大切な人に、伝えたいことはきちんと伝える。周りの人たちのことを大切に思うようになりました。 |
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あの日のこと、今でも鮮明に覚えています。
部活をしている時でした。準備運動するのに携帯でタイマーセットし、いざ走る!てなった時、携帯が鳴りなんだろう?と思った瞬間の出来事でした。 周りの街頭がしなるように揺れて… 目の前が崩れていき、立っていられないほどの揺れでした。 大きな揺れの後、猛吹雪になり 何が起きたのかわからなくなりました 揺れがおさまってから 学校に向かうと ガス漏れの臭いなどし ただ事ではないとその時気づきました。 やっとの思いで親に繋がった1本の電話で学校に迎えに来てもらい 無事に帰って来れましたが、津波の映像や、鳴り止まぬ地震速報。とても怖かったです。 数日後には原発事故。 たくさんの風評被害。同じ日本なのになんで? と思いました。 けど今は他県の方から 野菜や果物が美味しい。と言葉を いただきうれしいです! 長々となってしまい すみません… |
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夜勤明けで寝ていたら地震があり、親から電話がありました。津波のニュースをみて公衆電話から急いで親に連絡をとりましたが連絡がとれなくなりました。姉と連絡をとり、津波で流されたんじゃないかと、毎日のように話をしました。東京では関係ないのに買い占めしてる人がいてなんだかバカみたいに感じました。
夜な夜なNHKの被災伝言板みたいなのに電話しまくってやっと繋がりましたが流されるかどうかわからないと言われました。 2週間くらい経ってようやく親と連絡がとれました。仕事中にかかってきた電話だったのであまり長く話せませんでしたが、母親に大泣きされました。 3月末にやっと帰れましたが、地元に入るとものものしい感じで面影すらもありませんでした。 同級生も知り合いも何人もなくなりました。うちの職場からは派遣がでなかったのでなんで?という思いが強かったです。それでこっちに戻ってきましたが、なんだかすべてが薄っぺらいというかなんとも言えない気持ちになりバーンアウトしました。 |
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先輩の卒業式が終わって、母と買い物に出かけている最中でした。揺れが激しく、車に乗っていて恐怖を感じました。近くの駐車場で外へ出てみるとお店の中のものはぐちゃぐちゃで、町の中は屋根から落ちた瓦など様々なものが散乱してました。弟、妹、祖母と家に帰り、ものが散らばった家を片付けていると、津波のニュース。父も帰宅し、これからのことを考えていました。数日すると原発事故のニュースが飛び交い、一時避難したときもありました。
身近に亡くなった方はいなかったし、大きな被害にも合わなかったけれど、自然災害の恐ろしさを実感しました。毎年、3/11の14:46には黙祷。非常用のものをお部屋に置いています。 少しでも早く、被害に合われた方々が、震災前と同じ生活を送れることを祈っています。 |
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